ねこが更に目を丸くして、髭のある頬は少し膨らんでいたずらっぽく見えた。グルグル言いながら私の顔をチラ見しつつも視線の先は膝、「・・来るの?」と膝を叩いたら本当に歩みの先は膝ということで乗ってきた。なので、ある樹の下で正座をして家にいるかのようにまったりと静かに時が経った。なんか不思議な感じ人が来たら困るなと思いつつも、もしかしたら家より空気も良いし(ちょっと寒いけど)空間はあるし、自然の中でなんて自然なことなんだろうと思ったりした。そうそうこの柔らかくて温ったかいのが懐かしいな・・ 更に身体を丸くして寝ようと寛いだ顔を見て、脚の痺れを極限まで耐えるのとは裏腹、こちらの気持ちもねこ同様グルグル状態になっていた。私はリッチな家のねこになりたかったな、と少しばち当たり?なことも思ったりして・・
ふとねこを見ながらなぜかトラウマという言葉が浮かんだ。虎馬だろうか??ではなくギリシャ語(傷という意)がドイツ圏で心の傷という意味で使われるようになった外国語だそうだ。誰にでもトラウマがあるのか知らないけれど私にはある。薄々感じながらも逃げるようにやり過ごしてきた。だいぶ薄まったと思うが未だ影響してるんだろうなと思えることもある。が、良いように言って今迄目の前のことをこなす事に必死だったのが、最近になってやっと自分のことを客観視できるようになったと思う。(人のことは結構見ていた。そういう癖がついていたという方が正しいかも)何というか自身がずっと透明人間みたいな感じだったな、と。え?今ごろ?自分にはここまできてやっとのこと。
だからこれからはやり過ごすということにはならないだろうな、と思っている。自分にとってトラウマの反対はねこである。人によったらこの反対かもしれない。
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