生きもの

いきもの

先日の広島行きのぞみは、東京駅の混雑そのものを乗せて走り出した。珍しく座った3列席は女性だけで何となくほっとしておにぎりを食べた後はイヤホンをつけ、いつの間にか首が折れる程の睡眠に陥った後は、約30分後で新神戸だった。帰省・・ 仕事が終わって休みということだが何やら用事が次から次とあって一向に「休」という感じがしない日が続き、そして大晦日という日に追われている。でもお店の方達はきっちりお客様を閉店時間までお迎えし、立派にお礼で送り出しをされていた。なんとなくバイトの頃を思い懐かしい気がした。

大晦日には毎年恒例今年の一文字が発表される。「戦」と先ほど知った。選ばれたことが直ぐに理解できる文字であり、ウクライナとの戦争には世界中の人々が心を痛めていることは明白なことだ。対して正義だとうたっている側は心を痛めていないのだろうか、正義とは誰にとって・・正しいとは何なのか・・誰にとって・・ 苦しいはずである。

とふと事は全くもって違うが自分の出来事とどうしても重なってしまって考え方の「ちがい」についてはどうしようもないと分かっていてもどうしても考えてしまう。なんでだろう・・と。結論はそれがちがいなんだけれど、ちがいに対して戦っても結論はでないものだと思うが、負を埋めるために挑まれてしまうのである。だから傍から攻撃という形となってみえるが本当は自身の負の鏡なのだと思う。

収束をと心から願うと同時にそれぞれの思う幸せ、平和って何なんだろうと思ったりする。

大晦日。(過ぎていた、、)

私はこの師走の空気感が苦手だ。でも今日はこれを払拭する場=動物園に行くことができた。帰省したときの楽しみとして行く先である。入口から猫・犬に始まり、スナネコ・アリクイ・カバ・ヘビ・カピバラ・マヌルネコ・熱帯の鳥たち・水鳥たち・・・たくさんの生きものが待っていてくれるのである。大晦日に行くのは初めてだったがそれなりに混雑していてふれあいタイムのチケットはもう次の時間帯の案内になっていた。そしてこれまた初めて外側にある生きものたちにも会いに行きいつもの倍時間近く(結局閉園まで)いることになった。

ラクダは少し固めの毛並みで目がやさしく少し馬に似ているかも、こぶがこんな形状をしているのか、お尻がひきしまってるなとか、カンガルーは産毛のようにやわらかい毛並みをしているんだ、リスザルはほんとしっぽが長くて目が素っとん狂な感じで可愛いとか・・どの動物を見ても新発見の連続だった。このどうぶつ大国とされる園内のスペースで、世界の生きものたちが集合してやさしい飼育員さんの元生きていると思うと、ほんと「大国」ここに来てくれてありがとうの気持ちになる。

その来てくれた動物のお世話をしてその生態系を人に見せる動物園、ここはどうぶつ大国という名がついている。この人間中心と思って生きている世界こそ、本当は偶然が重なって色んな物質が融合して人が棲める環境が創りだされた世界で生かされているのは人間じゃないかと。それが人間大国とすると見ているのは誰か?

自然かと・・ 話さないから分からないが私たちを取り巻いている更に大きな世界は正にそれだと思う。人のことばを使うと「世話」「見ている」になるのかもしれない。が、そんな風に思っているわけもなくただことばをはかず、風が吹き陽を伸ばし水を落として時々それは違うと強烈に人に教えるのである。飴と鞭みたいだしなかなか手厳しいと。

我に返った帰り路の陸橋を渡ったときにふと思ったことである。

また会いに行きたいと思う。

 

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