約二年ぶりに両親に会うために帰省した。超高齢目前のふたりなので、こちらは念のためPCR検査とすすめられて抗原検査も受け、結果をみて帰る気持ちがかたまったという感じだった。
ふたりは住み続けたこの地がいいと言っていたので環境の変化にとても心配したけれど、生まれて初めて集合住宅に移り住み、結果オーライ、かぞくの比較的に近いところで、心身の不具合を感じつつも精神的安心感を得ているようにみえた。
もし自分が歳いって生きていたらどこに住んでいるだろう。親とちがって転勤で点々としているのでいまだ安住の住みかというのがわからないでいる。病院があって、一応おそうざい類が買えて、自然を感じながらこころ安らかに過ごしたいなと漠然と思ったりする。平和な中で、心身自由でいれたらいいな…
想定はしていたけれど、久しく会った母は、ふた回りほど小さくなって思考判断力もかなり弱まっていた。最初のことばが敬語だったのでついに…と思ったがすぐにいつもの調子にもどったので、会えていなかった時間の長さを実感することになった。
母の両親は幼いときに亡くなり、さみしい思いをした、くやしい思いをしたと幼少期を満たされない思いでいたことを、昔からなんども聞かされていた。親と金がないのは首がないのとおなじっていうてな…というはなしとか。と同時に、その代わりにおばあちゃん兄ちゃんに育てられてきびしくもあったが愛情をもらっていたことも知っている。家が繁栄していたときと底になったときのはなしなど…
母というのは、こどもを産めば一般に母親とされる。でも「お母さん」という言葉になると、温かみやそのひとの良しあしをひっくるめた個性を正解のない愛情として与える存在と化する。
わたしの母は、自分はお母さんから愛情をもって育ててもらっていないという思いがあって、お母さんというものがわからないという不安感をもっていたように思うのだが、こども達(わたし)に反感を多々もたれようとも、お母さんという愛情をあたえ続けてくれているように感じている。いろいろ問題を生じていても、何かをしようと立ったまま何かをしようと立ったまま。なのでもう座っといてと何度も言ったりもする。でも何かしたい気持ちが伝わってくるのでリクエストする。ていねいにおいしいお茶をいれてくれるおかあさんに、お母さんのお茶のみたいわぁ、と。
桜がきれいだったね。また会いましょう。
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