戦いについて

世界(げんざい)

戦いと聞いて何をうかべるだろうか。

自分の中の葛藤を戦いとするか、対人関係の衝突を戦いとするのか、各国での戦争、はたまたスポーツやゲームを通して戦いを感じるのか… 要は対立して争うことだ。

いま戦争がおこっている。

何の罪のない多くの人達が、昨日までありふれた日常を送っていた人達が、不安と悲しみを抱きながら、いつ攻撃されるかわからない場所で耐えている。家族を守るために大人たちは気を奮い立たせて耐えている。でもみながこころで泣いている。

テレビの映像を観て、昔カラカスという街に住んでいた時にクーデターが起こった頃のことを思い出した。高速道路には戦車が出て、マンションの上空は空軍機が低空飛行をした。それだけで自分ではどうすることもできない無力感、威圧感、不安感、行動の制限と苦痛を味わった。でもとてもその比でない。生と死のはざまだからだ。どれだけの涙と悲しみがあふれているだろう。

著名人たちがこぞって寄付金を出している。実行できるってすごいな、だから著名人なんだなって改めて思う。自分にできることはなんだろう。現実の生活を送るのに一杯でデモに参加する勇気もない、少しばかりの寄付金も出していない、ただただニュースを観て胸を痛めているだけである。いまのところは平和な日本だがこれからは分からない。目をそらさず考え続けることが今の自分にできることである。(のちチャリティーTシャツをかうことにした)

ふと、自分に相手と対立すると思ってもいなかったのに、相手から刺激され向きざる負えなくなった自分の小さな世界がうかんできた。考え方のちがうものに対して討論はできても、力で争うかたちになるのは間違っていると感じる。

誰が悲しい争いのために生まれてきたのか…

 

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